パントマイムとジェスチャーの違い

こんにちは、マイムアーティスト・講師の織辺真智子です。
今日のテーマは「パントマイムとジェスチャーの違い」です。どちらも言葉を使わない身体表現ですが、パントマイムと日常的なジェスチャーには、明確な違いがあります。今日はその違いを深く掘り下げ、それぞれの表現が持つ意味と特性についてお話しします。

「伝達」と「表現」の目的の違い
パントマイムとジェスチャーの最も大きな違いは、その目的にあります。
ジェスチャーは、通常、言葉を補完したり、言葉の代わりに情報を伝達したりするために用いられます。例えば、「OK」サインや「Vサイン」、あるいは「あっちへ行って」と手で示す動作などが典型的なジェスチャーです。これらは、特定の意味を簡潔に、効率的に伝えることを目的としています。ジェスチャーは、文化的背景によって意味が異なることも多く、普遍的ではない場合があります。例えば、日本では「お金」を表すOKサインが、ブラジルでは侮辱的な意味になることがあります。
一方、パントマイムは、単なる情報伝達を超えて、感情、状況、物語、そして見えないものを身体を通して「表現」する芸術です。パントマイムアーティストは、観客に特定の意味を一方的に伝えるのではなく、身体の動きを通じて、観客の想像力を刺激し、感情を共有し、共に物語を創造することを目指します。パントマイムの動きは、特定の意味に固定されず、文脈やアーティストの意図によって、様々な解釈の余地を残します。
アメリカの演劇学者リチャード・シェクナーは、演技を「行動としての芸術」と定義し、その目的がコミュニケーションだけでなく、観客に特定の体験を提供することにあると指摘しました。ジェスチャーが「伝える」ことに重きを置くのに対し、パントマイムは「感じさせる」こと、そして「体験させる」ことに集中していると言えるでしょう。

「日常性」と「非日常性」の隔たり
次に、ジェスチャーとパントマイムは、その**「日常性」と「非日常性」**において大きく異なります。
ジェスチャーは、私たちの日常生活に溶け込んでいます。私たちは意識することなく、会話の中で自然と身振り手振りを使ったり、言葉が出ない時にジェスチャーで意思を伝えたりしています。ジェスチャーは、特定の状況下で、ごく自然に、そして無意識的に用いられることが多いです。例えば、レストランでウェイターを呼ぶために手を挙げたり、道を尋ねる際に指を差したりする行為は、ごく日常的なジェスチャーです。
対照的に、パントマイムは、舞台という非日常的な空間で行われる、高度に洗練された芸術表現です。パントマイムの動きは、日常生活の動作を単に模倣するだけでなく、それを誇張したり、抽象化したり、あるいは極限まで純化させたりすることで、日常とは異なる美意識やメッセージを表現します。例えば、パントマイムの「綱引き」の表現は、実際の綱引きの動作を細かく分解し、その身体の緊張、呼吸、そして拮抗する力の表現を極限まで高めたものです。これは、日常的な綱引きとは異なる、芸術的な昇華を遂げていると言えるでしょう。
フランスのパントマイムアーティスト、マルセル・マルソーは、「マイムは沈黙の詩である」と語りました。詩が日常の言葉を洗練させ、新たな意味や美しさを生み出すように、パントマイムは日常の動きを洗練させ、非日常の美と感動を創造するのです。

「部分」と「全体」の表現
パントマイムとジェスチャーは、表現の**「部分」と「全体」**という点でも異なります。
ジェスチャーは、しばしば身体の特定の部分(手、指、顔など)を使って、特定の意味を素早く伝えます。例えば、笑顔は顔の一部で表現されますし、親指を立てる動作は手の一部で行われます。ジェスチャーは、その単一の動作で完結することが多いです。
一方、パントマイムは、身体全体を使った統合的な表現です。パントマイムアーティストは、指先から足の先まで、そして呼吸や重心の移動まで、全身をコントロールして一つのイメージや感情を表現します。例えば、ガラスの壁を表現する際、単に手で触れるだけでなく、その壁の高さに合わせて目線を変えたり、身体の重心を移動させたり、あたかも本当にその壁に阻まれているかのように身体全体で「抵抗」を表現します。
これは、まるでオーケストラの指揮者のようです。指揮者は、個々の楽器の音色だけでなく、オーケストラ全体のハーモニーを追求します。パントマイムアーティストもまた、個々の動きだけでなく、身体全体で作り出す統一されたイメージと、そこから生まれる感情の響きを追求するのです。身体全体を一つの楽器と捉え、あらゆる音色を奏でることで、言葉では語れない豊かな世界を表現していると言えるでしょう。