言葉を超えた感動!なぜ私たちは「動き」に心を奪われるのか?

私たちは日々のコミュニケーションの多くを言葉に頼っています。しかし、喜びで飛び跳ねる子供の姿や、深い悲しみでうつむく人の背中を見た時、言葉では説明しきれない強い感情が心に響くことがあります。これは、私たちの脳が、言葉よりも「動き」に対して、ある種の特別な反応を示すためと考えられます。
まず、人間のコミュニケーションの歴史を振り返ってみましょう。言葉が誕生するはるか昔から、私たちは身振り手振りや顔の表情、身体の動きによって互いに意思疎通を図っていました。これは、進化の過程で、動きから他者の意図や感情を素早く読み取る能力が発達してきたことを示唆しています。アメリカの認知科学者レイ・ジャッケンドフは、言語が発達する以前の原始的なコミュニケーションにおいて、身体の動きやジェスチャーが重要な役割を果たしていたと指摘しています。つまり、動きを理解する能力は、言語能力よりも根源的で、私たちの脳に深く刻み込まれている可能性が高いのです。
この動きと脳の関連性を示す最も有名な発見の一つに、1990年代にイタリアのパルマ大学のジャコモ・リゾラッティらが発見した「ミラーニューロン」があります。ミラーニューロンとは、他者の行動を観察している時に、まるで自分がその行動をしているかのように脳が活性化する神経細胞のことです。例えば、誰かがコップをつかむのを見た時、私たちの脳の、自分がコップをつかむ時に使う領域が活動するのです。これにより、私たちは他者の行動を「理解」し、その意図や感情を「共感」することができると考えられています。パントマイムを見ている観客が、演者の動きに感情移入したり、まるで自分がその状況にいるかのように感じたりするのは、このミラーニューロンの働きが大きく関与していると言えるでしょう。
さらに、動きは言葉よりも「直接的」に感情や情報を伝えることができます。言葉は、一度脳で処理され、意味を解釈する過程が必要ですが、動きは視覚的に捉えられ、瞬時に感情や状況を直感的に理解させることが可能です。例えば、「悲しい」という言葉を聞くよりも、身体を丸め、肩を震わせて泣く人の姿を見る方が、より強くその悲しみを心で感じませんか?これは、言葉が抽象的な記号であるのに対し、動きはより具体的な「体験」や「感覚」と結びつきやすいためです。
また、動きは「普遍性」を持っています。先ほども少し触れましたが、喜びの笑顔や恐怖の表情、あるいは驚きのジェスチャーは、ある程度の文化的な違いはあれど、多くの人々に共通して理解されやすい傾向があります。言葉は文化や言語によって大きく異なりますが、身体が伝えるメッセージは、言葉の壁を越えて伝わりやすいのです。パントマイムが世界中で愛される理由の一つも、この普遍的な身体言語にあります。
言葉は論理や情報を伝えるのに非常に優れていますが、動きは感情や感覚、そして「雰囲気」を伝えるのに長けています。例えば、大勢の人が一斉に逃げ出す姿を見れば、何が起こっているか言葉で説明されなくても、そこに「危険」があることを瞬時に察知できます。まるで、言葉は「説明書」で、動きは「体験」のようなものですね。説明書を読むよりも、実際に体験する方が、より深く心に残ることがあるのと同じです。