表現芸術、みんなが目を瞑りがちな問題の歴史

ドガが問いかける芸術の真実

パリのオペラ座。バレリーナたちの懸命な練習風景を描いたエドガー・ドガの絵画に、私たちは目を奪われます。しかし、ドガが本当に描きたかったのは、華やかな舞台の裏側にある、バレリーナたちの血のにじむような努力や、彼女たちが抱える経済的な苦悩だったと言われています。当時のバレリーナは、パトロンからの支援なしには生活が成り立たず、時に尊厳を犠牲にすることもあったからです。ドガのまなざしは、芸術が生まれる現場に存在する、避けがたい「不均衡」と「脆弱性」を私たちに問いかけているかのようです。

芸術は、古くから私たちの生活に深く根ざし、感情や思考、社会のあり方を映し出してきました。演劇、舞踊、美術、音楽。これらは単なる娯楽や装飾にとどまらず、人類が共通して持つ「表現したい」という根源的な欲求から生まれたものです。人類の祖先が世界中に拡散する以前の古代アフリカで発見された身体装飾の痕跡は、その普遍的な能力が数万年もの時を超えて受け継がれてきたことを示唆しています。

しかし、ドガの絵画が示唆するように、芸術を取り巻く環境は常に平穏だったわけではありません。表現者は、その才能と情熱ゆえに、時に過酷な状況に置かれ、不当な搾取に苦しむこともありました。このレポートでは、芸術がどのように生まれ、人類社会でどのような役割を担ってきたのかを深く掘り下げます。そして、芸術家が歴史的、現代において直面してきた社会、経済、政治の課題を分析し、表現者と芸術を愛する人々が共に豊かに生きるための未来をどのように築くべきか、具体的な提言を行います。芸術の起源からその本質、そして未来への展望を共に探求していきましょう。

芸術の始まり:人類に宿る普遍的な衝動

人間がなぜ芸術を生み出すのか。この問いは、私たちの最も深い部分にある創造性の源泉へと誘います。芸術は単なる認知能力の産物ではなく、社会との深い相互作用の中で育まれてきたものです。

認知考古学が解き明かす象徴的思考の萌芽

初期人類の芸術的行動の証拠は、人類がまだ地球全体に広がる前の古代アフリカにまで遡ります。黄土を使った身体装飾やビーズの使用は、最も古い「芸術的行動」の証拠として知られています。これらは、最初は実用的な目的を持っていた可能性もありますが、人類の創造性が芽生え始めたことを示す重要な手がかりです。

長らく、芸術の起源はホモ・サピエンスが完全な象徴的思考を獲得した結果だと考えられてきました。つまり、芸術は高度な認知能力から直接生まれたという見方です。しかし、近年の研究では、この見方に疑問が投げかけられています。というのも、「近代以前」の人類集団と現代人の認知能力の差が、これまで考えられていたよりも小さいことを示す証拠が増えているからです。ネアンデルタール人や他の初期人類にも芸術とされる事例は稀にありますが、やはり芸術の実践は主にホモ・サピエンスの現象だという認識は依然として強いのです。

この状況を理解するためには、芸術を単なる認知操作の産物としてではなく、現代人の社会的な相互作用に深く組み込まれた行動として捉え直す必要があります。このことは、芸術の進化が単に認知能力が飛躍的に向上しただけでなく、社会と認知が互いに影響し合いながら共に進化したことを示唆しています。つまり、認知能力が芸術を生み出すことを可能にし、その芸術が社会構造を強化し、それがさらに認知の発達と文化の定着を促進するという、相互に関係し合うサイクルが存在したと考えられます。芸術を創造し、それに触れるという行為そのものが、人間の知性と社会の複雑性の発展に貢献してきたと解釈できるでしょう。

進化心理学が探る適応と副産物としての芸術

進化心理学は、芸術の起源を、環境に適応するための潜在的な機能として探求し、種の進化の歴史を通じて現代人の心理を説明しようと試みます。ジョン・トゥービーとレダ・コスミデスは、芸術を享受することが、心の発展に不可欠な適応的な神経認知プロセスであるという仮説を提唱しました。彼らは、脳が星や流れる水のような自然現象の普遍的な特性を利用して、知覚の仕組みを微調整すると説明しています。

フィクションや非現実的なイメージは、私たちの心の表現の幅を大きく広げ、「シミュレートされた、あるいは想像上の経験」に従事する能力を高めると考えられています。これにより、精神的なタイムトラベルをしたり、想像上の社会的な交流や会話をしたり、現実の危険を避けながら潜在的な現実の状況や脅威に対する異なる行動戦略を立てたりすることが可能になります。特に物語は、具体的な状況におけるケースベースの推論を可能にし、一般的な戦略よりも役立つものとなるのです。

芸術、特に物語の語りは、適応として捉えられ、すぐに行動に関連する戦略的な社会情報、性格に関する原則、社会的な相互作用の深さを把握するための推論ツールを提供します。これにより、異なる視点から社会状況を考察し、登場人物の間で精神的な入れ替えを行い、記憶の中に魅力的な事例を蓄積することで、社会情報の処理速度を高める能力が与えられるのです。

感情的に刺激的な芸術は、人間が他者の感情の手がかりとして芸術作品に込められた感情を読み取るため、進化的に享受されると提唱されています。これにより、共感的な経験や代理感情が可能になります。この代理感情の経験は、自分自身の身体の生理的変化、すなわち感情そのものの経験を解釈する訓練となり、他者の感情状態を理解する能力を高めるため、適応的であると考えられます。さらに、感情を誘発する芸術作品は、その感情を共有することで集団内の結束を強化する役割も果たします。

しかし、進化心理学における芸術研究には、経験的な裏付けの不足や、適応論的な主張の根拠付けが不十分であるといった方法論的な課題も指摘されています。芸術を創造する動機は、鑑賞する動機とは異なり、芸術家自身の感情表現による自己理解の深化、鑑賞者とのつながりの形成、あるいは社会的な認知を追求することに起因する可能性があります。また、「感覚トラップ仮説」は、特定の刺激への魅力が、その刺激を生み出す能力に先行する可能性を示唆しています。

芸術の適応機能は、単なる生存を超えて、社会的な知性と感情の調整にまで及びます。フィクションを「シミュレートされた経験」として社会的なスキルや戦略を練習する場として捉え、感情的に刺激的な芸術を「感情的知性」と「集団内の結束」を育む手段として捉えることは、芸術が複雑な社会環境をうまく乗りこなし、集合的な感情を管理するための洗練されたツールであることを示しています。これは、個人の認知能力だけでなく、複雑な人間社会に必要な社会構造を発展させる上での芸術の役割を強調するものです。

社会を紡ぐ芸術の力:コミュニケーション、結束、そして変化

芸術は、単なる個人の表現にとどまらず、社会全体のコミュニケーションを促進し、人々を結びつける強力な接着剤として機能してきました。

コミュニケーション、教育、集団結束の促進

芸術は、その多様な形態を通じて、初期人類社会においてコミュニケーション、教育、協力、そして結束といった重要な機能を果たしてきました。絵や絵画といった視覚芸術は、初期人類の間でコミュニケーションと教育を促進しただけでなく、問題解決や計算の補助としても機能した可能性が高いです。芸術の鑑賞と理解は、意識や内省といったより高度な認知機能と密接に連携して進化してきた、人間の脳の高次機能であると考えられています。このことは、内的な経験が創造的な外的な表現として自然に具現化され、それが文化として定着していった過程を示唆しています。

歴史的に見ても、芸術は社会の規範や価値観を形成する上で不可欠な役割を担ってきました。古代ギリシャの民主主義制度やローマの共和制といった政治システムは、文学、フレスコ画、建築、彫刻といった芸術作品を通じて保存され、次の世代へと伝えられ、後の社会形成に影響を与えました。芸術は、単なる個人の表現を超え、集合的な知性と社会の回復力の根源的な推進力として機能します。コミュニケーション、教育、社会の結束を促進することで、芸術は文化的な貯蔵庫として、また複雑な知識や価値観を世代を超えて伝える仕組みとして機能してきました。このことは、芸術が贅沢品ではなく、人類社会の発展と存続にとって不可欠な中核要素であることを示しています。

感情的共鳴と仮想現実の提供

芸術は、視覚的な刺激を使って感情を呼び起こし、過去の出来事や感情の記憶を呼び覚ます力があります。歴史上、多くの芸術作品は、美を生み出すことそのものを明確な目的として制作され、人々に息をのむような感動や、何かとつながっているという感覚を与えてきました。

先に述べたように、フィクションは思考実験のための「仮想現実」を提供し、個人が現実世界での危険を伴わずに、日常生活に必要なスキルを練習することを可能にします。この「シミュレートされた、あるいは想像上の経験」は、心の中の表現のカタログを増やし、精神的なタイムトラベルや想像上の社会的な相互作用といった能力を向上させます。芸術を通じた感情の代理経験は適応的であり、個人が自分自身の身体の生理的変化や他者の感情状態を解釈する訓練となります。このプロセスはまた、集団内の結束を強化する役割も果たします。

芸術は、出来事を記録し、行動を促す力も持っています。パブロ・ピカソの「ゲルニカ」は、スペイン内戦の悲惨な現実を世界中の人々に伝え、難民支援のための資金集めに利用された具体的な例です。また、芸術は、馴染み深い文脈で古代の主題を描写することで、人々の信仰を強め、より共感を呼ぶものとすることもできます。さらに、抽象芸術が最初は批判されたものの、最終的に芸術の定義に対する認識を変えたように、芸術は既存の社会規範に挑戦することで「新しい常識」を創造する力も持っています。

芸術は、強力な「社会の鏡」であり、人間の経験のための「実験室」として機能し、集合的な感情処理と共有された理解の進化を可能にします。仮想現実を提供し、代理感情を促進することで、芸術は社会がトラウマを処理し、複雑な社会の力学を探求し、安全で想像的な空間で集合的に規範を再定義することを可能にします。この感情的および認知的なリハーサルの能力は、社会の適応と進歩にとって極めて重要です。

芸術家の歴史的苦悩:パトロンと権力の狭間で

ドガのバレリーナのように、芸術家は常に社会の中で特別な存在でありながら、その地位は常に揺れ動いてきました。彼らは、時には権力者の庇護を受け、時にはその意向に縛られ、あるいは経済的な不安定さに苦しんできたのです。

歴史的パトロン制度と芸術家の依存関係

パトロン制度は、裕福な個人や組織が芸術家、作家、その他の創造的な人々を支援または後援し、その見返りとして名声や芸術的な表現を得るという形で、古代社会に深く根ざしていました。歴史を通じて、さまざまな形のパトロン制度が生まれました。王室によるパトロン制度は、君主や支配層のエリートによる芸術家への支援を指し、権力と威信を正当化するために芸術と文化が利用され、文化発展の重要な推進力となりました。中世には、宗教機関や聖職者による教会パトロン制度が、芸術と建築の発展に決定的な役割を果たしました。近代に入ると、特にルネサンス期にはメディチ家のような裕福な個人や家族が芸術家、作家、思想家を支援し、私的パトロン制度がますます重要になりました。

パトロン制度は、芸術家が自身の創作活動に専念し、新しいアイデアを試み、技術の限界を押し広げることを可能にした一方で、パトロンと芸術家の間には非対称な関係性も生み出し、階層的な権力構造と相互の義務を強調しました。歴史的背景は、芸術家が用いるテーマ、スタイル、技術に大きな影響を与え、例えばルネサンス期にはカトリック教会が多くの芸術作品を形成しました。芸術家が歴史的にパトロンに依存してきたことは、芸術的生産がしばしばパトロンの意図(政治的、宗教的、あるいは地位追求的)によって左右されるという、根本的な力関係の不均衡を作り出しました。この歴史的経緯は、その後の統制や搾取の形態の基礎を築き、芸術家の「低い地位」が本質的なものではなく、権力構造の中での経済的・社会的位置づけの結果であることを示しています。

芸術家の社会的・経済的脆弱性

過去数十年にわたり、芸術家の間の不安定さは増大しており、非営利団体と営利団体の双方による搾取につながっています。平均的な芸術家の所得は、同程度の専門的な教育を受けた他の専門職と比較して著しく低いのが現状です。この経済的な不安定さは、創造的な芸術家の供給過剰が一因であり、これにより平均的な芸術家の交渉力が制限され、純粋芸術と大衆芸術の双方で低所得につながっています。

重要な要因として、「芸術のためなら何でもする」という精神が挙げられます。芸術家は、将来の認知度向上への投資として、あるいは単に芸術そのもののために、非常に低い、あるいは無償の報酬で働くことをいとわない場合が多いのです。この精神は、芸術分野において極端で抑制のない競争を特徴とする「ワイルドウェスト経済」を可能にしています。芸術家の労働が適切な報酬なしに構造的に利用されることは「経済的搾取」を構成しますが、これは関わる全員、搾取される側も含めて再生産されるシステムです。芸術家は、芸術と結びつくことで象徴的な利益(例えば名声)を得る場合があるためです。

「芸術のためなら何でもする」という精神は、一見すると崇高な献身のように映ります。しかし、この精神は、芸術労働を構造的に過小評価し、結果として「ワイルドウェスト経済」とも称されるような、抑制のない競争状態を芸術分野にもたらす、自己永続的な搾取のメカニズムとして機能しています。このような文化規範は、供給過剰な芸術家人口と相まって、彼らの低所得と不安定な生活状況に直接的に寄与しています。皮肉なことに、芸術の高い象徴的価値は、芸術家の経済的困窮という犠牲の上に成り立っている側面があります。これは、芸術の持つ貴重さが、その創造者の犠牲によって一層高められるという、社会的な構造が背景にあることを示しています。

文化資本と芸術界における排除の壁

芸術家の出現は、創造性や才能のみに依存するものではなく、社会的な条件にも左右されます。社会制度は、誰が芸術家になるか、そしてその芸術がどのように認識されるかに大きな影響を与えます。歴史的には、性別、都市出身、家族背景(例えば、芸術家の息子が技術を継承するなど)といった要因が、芸術活動に従事できるか否かを決定する上で決定的な役割を果たしました。例えば、女性はキャリアアップにおいて大きな障壁に直面し、近代に至るまで公的な芸術界から排除されることが多かったのです。

文化資本とは、身体化された知識、客体化された文化財、制度化された資格(学位、賞など)を包含する概念であり、誰が芸術家と見なされ、どのような芸術が価値あるものとされ、その価値がどのように維持されるかを決定します。批評家、キュレーター、教育者、機関、コレクターといった文化の門番たちは、芸術の規範を形成する上で不均衡な影響力を行使します。彼らはしばしばエリート機関に根ざしており、歴史的に欧州中心主義的、家父長制的な偏見によって、非西洋、非男性、非伝統的な芸術形式を周縁化してきました。

経済的資本は芸術の可視性と到達範囲に影響を与え、金銭的価値が文化的価値を強化するというフィードバックループを生み出し、少数の芸術家に不釣り合いな利益をもたらします。パトロン制度も、たとえ私的なものであっても、歴史的に文化や政治的利益に合致する特定の運動を促進するために利用されてきました。教育、資源、ネットワークへのアクセスにおける体系的な不平等は、特に女性、有色人種の芸術家、労働者階級出身の芸術家など、多くの芸術家が認知を得るのに苦労していることを意味します。植民地主義の歴史もまた、非西洋芸術がどのように評価され消費されるかに深く影響を与え、植民地化された地域の工芸品や文化表現がその文脈から切り離され、西洋の美術館で「原始的」または「エキゾチック」として再分類され展示されることにつながりました。

芸術家の「低い地位」や周縁化は、文化資本の概念と芸術界における門番メカニズムと深く絡み合っています。経済的資本と文化的資本の間のフィードバックループは、芸術的価値が金銭的成功によって正当化されることが多く、その逆ではないことを意味します。これは、ジェンダー、人種、階級に基づく体系的な不平等を永続させ、芸術界が能力主義ではなく、より広範な社会的不平等を反映し、強化する場となることを示しています。

政治的利用と表現の抑圧:消されない芸術の炎

芸術は、その性質上、権威に抵抗し、疑問を投げかけ、周縁化された人々の声に耳を傾ける力を持っています。だからこそ、抑圧的な政権にとって、芸術は常に脅威であり、検閲やプロパガンダの対象となってきました。

権威主義体制下での検閲とプロパガンダの歴史

権威主義的政府は、歴史的に芸術的活動を検閲し、プロパガンダに置き換えることで、人々の認識を操作しようと試みてきました。芸術は、その真の姿において、統制に抵抗し、疑問を投げかけ、周縁の声に耳を傾ける性質を持つため、抑圧的な政権の標的となります。これらの政権は、芸術家を攻撃し、機関への資金提供を停止し、画像を検閲し、書籍を焼却しますが、これは芸術的嗜好のためではなく、権力への恐怖と支配欲に起因するものです。芸術の統制は、認識を統制するための近道と見なされます。

権威主義体制は、秩序、服従、そして簡略化された二元論(忠実か裏切り者か)の上に成り立ちます。しかし、芸術はこのような単純さを打ち破り、あらゆるものを複雑化させ、曖昧さ、批判、共感、自律性を体現します。芸術は現実を不安定に感じさせ、別の物語やアイデンティティ、未来のための空間を開く力を持つため、これらの体制にとって危険な存在となるのです。権威主義体制による芸術の抑圧は、単にコンテンツを統制するだけでなく、認識、意味、そして社会の結束を統制しようとする試みです。芸術が持つ本質的な曖昧さ、周縁化された人々に声を与える能力、そして強い感情を喚起する力は、権威主義が依存する単純で従順な物語に直接的な脅威を与えます。このため、芸術は、たとえ「隠れた異議申し立て」を通じてであっても、強力ではあるがしばしば微妙な抵抗の形態となるのです。

具体的な事例:戦争、イデオロギー、道徳的規範による弾圧

芸術表現の抑圧と政治的利用は、歴史上、さまざまな形で現れてきました。その具体的な事例をいくつか見てみましょう。

ナチス・ドイツでは、1937年に「退廃芸術」展が開催され、モダニズム作品が病的なもの、ユダヤ的、ボリシェヴィキ的、あるいは倒錯的であると嘲笑されました。彼らは演劇や視覚芸術だけでなく、報道、映画、放送メディアに至るまで、文化的な空間全体で人種的・政治的な粛清を行いました。しかし、このような抑圧的な状況下でも、オットー・ディックスやマックス・ベックマンといった芸術家は、歪んだ人物像を通じて政権の戦争美化を巧妙に批判しました。

ソビエト・ロシアでは、芸術は国家プロパガンダの主要な手段となり、「社会主義リアリズム」と呼ばれる様式が強制され、共産党、その指導者、労働者階級を賛美する内容が求められました。しかし、この国家主導の芸術と並行して、活気ある地下芸術シーンが出現し、芸術家たちは抽象、象徴、寓意を用いて国家統制に抵抗し、ソビエト政権の抑圧的な性質を批判しました。

現代においても、ポーランドでは2015年以降、法と正義党(PiS)が冒涜法(ポーランド刑法第196条)を用いて、「宗教的(カトリック)信仰を侵害する」芸術表現を沈黙させています。ハンガリーでも2019年以降、オルバン政権下では、文化法によって文化機関への資金提供に条件が課され、政府を批判する芸術家は事実上検閲されています。キューバでは2018年以降、政令349号により、芸術家は展示会や公演を行う前に文化省の許可を得ることが義務付けられています。ロシアでは、行政犯罪法第6.21条が、「非伝統的な性的態度を形成する」または「魅力的」にする「プロパガンダ」の拡散を禁止しており、LGBTQ+芸術家に対する芸術的自由の侵害につながっています。

アルゼンチンの1976年から1983年の独裁政権下では、特定の演劇が禁止され、多くの芸術家が個別に標的にされました。この時期には「自己検閲」(autocensura)が広く見られましたが、1981年からは「テアトロ・アビエルト」(開かれた劇場)のような地下劇団が結成され、政治的で反独裁的な作品を共同で制作し、抵抗の動きを示しました。

米国でも、1990年代および近年、「文化戦争」や、保守的な政府および特定の利益団体からの政治的圧力の増大が見られました。トランプ前政権は、連邦レベルでの芸術への資金提供を停止しようと試みました。ソーシャルメディアもまた、不快と見なされる芸術作品を破壊するための運動を即座に生み出すことを可能にしています。

多様な政治体制(ファシズム、共産主義、ポピュリズム、保守主義)において芸術が繰り返し抑圧されるパターンは、芸術家が政治的干渉に対して脆弱であるという普遍的な課題が存在し、それがしばしば「道徳」や「国益」の名の下に隠蔽されることを示しています。しかし、厳しい抑圧下でも芸術的抵抗が持続していることは、芸術が異議申し立ての媒体として持つ本質的な力と、人間の自由との根源的なつながりを強調しています。

芸術と人権:表現の自由の保護と限界

芸術的自由は、国際法の下で認められた権利であり、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(ICESCR)第15条や市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)第19条といった文書によって保護されています。ユネスコはこれを「政府の検閲、政治的干渉、あるいは非国家主体の圧力から解放され、多様な文化表現を想像し、創造し、配布する自由」と定義しており、市民がこれらの作品にアクセスする権利も含まれ、社会の幸福に不可欠であるとしています。

この自由には、検閲や威嚇なしに創作する権利、芸術作品が支援され、配布され、報酬を得る権利、そして移動の自由、結社の自由、文化生活に参加する権利が含まれます。しかし、他の人権と同様に、芸術における表現の自由も、プライバシーといった他の保護された権利とのバランスが求められる場合があります。また、ヘイトスピーチの防止、公衆道徳の保護、国家安全保障といった理由に基づいて制限される可能性もあります。課題は、正当な制限と、道徳的または安全保障上の懸念を装った検閲とを区別することにあります。芸術的自由への攻撃は、しばしば不寛容な個人、集団、ヘイトスピーチ、人種差別、外国人嫌悪に起因し、自由で平等な個人として公的議論に参加する権利を否定するものです。

国際的な人権枠組みは芸術的自由を保護することを目的としているものの、これらの権利は、プライバシー、公衆道徳、国家安全保障といった他の社会的懸念と「均衡」が図られることがしばしばあります。このことは、芸術的自由を保護するための仕組みそのものが、特に「道徳」や「公共の秩序」が支配的または権威主義的な権力によって定義される文脈において、その制限を正当化するために利用され得るという緊張関係を生み出しています。これは、芸術表現の境界を実践的に定義し、擁護するための継続的な闘いを浮き彫りにするものです。

表現者が豊かに生きる未来へ:持続可能なエコシステムの構築

芸術が社会にとって不可欠なものであるならば、その創造者である芸術家が豊かに生きられる未来を築くことは、私たちの責務です。そのためには、芸術の多面的な価値を再認識し、持続可能なエコシステムを構築するための具体的な行動が必要です。

芸術の多角的価値の認識と促進

経済的貢献と非市場的文化的価値の統合

視覚芸術、音楽、映画、文学、舞台芸術を含む創造産業は、雇用創出、観光振興、イノベーション促進を通じて経済成長に大きく貢献しています。これらの産業はまた、国家の文化的アイデンティティと国際的な影響力を高める重要なソフトパワーの源でもあります。例えば、2023年には米国の芸術・文化経済活動がGDPの4.2%を占め、1.17兆ドルに達しました。

しかし、経済的影響は測定可能である一方で、文化的価値(遺産保存、社会の結束、多様性の促進など)はより複雑で無形です。主要な課題は、市場の力学がしばしば商業的成功を芸術的完全性よりも優先する点にあります。社会の幸福に不可欠な非商業的な芸術活動は、商業的成功を優先する市場の力によって周縁化されがちです。創造産業の包括的な評価には、その経済的貢献と、社会を豊かにし、文化的な対話を形成し、人間の創造性を育む役割の両方を考慮する必要があります。

芸術の価値を主に経済的指標で測定することに現在の重点が置かれていることは、芸術を商品化し、非商業的または実験的な形態を周縁化するリスクを伴い、それによって文化的多様性と芸術的完全性を損なう可能性があります。真に持続可能な未来を実現するためには、測定可能な経済的利益と、より定量化しにくい本質的な文化的および社会的価値とを統合し、市場の成功が芸術的価値を覆い隠さないようにするという、認識の根本的な転換が必要です。

芸術を「公共財」として捉える経済理論の応用

芸術を「公共財」(消費における非競合性と非排除性によって特徴づけられる)として捉える経済理論は、しばしば議論の対象となります。文化遺産は純粋な公共財に近いかもしれませんが、美術館や公演はしばしば排除可能である(アクセス制限や「文化資本」の必要性)という側面があります。公共補助金の正当化は、しばしば「外部性」の概念に依拠します。これは、芸術の消費から他者が受ける、価格設定されていない利益であり、「オプション価値」(将来アクセスする選択肢の価値)や「遺贈価値」(将来の世代のために芸術を保存する価値)などが含まれます。

芸術を「コモン・グッド」(第三の選択肢)として捉えることは、より包括的な枠組みを提供し、芸術家が合理的な金銭的見返りなしに犠牲を払う現象や、芸術の社会的性格を説明するのに役立ちます。この枠組みは、芸術が持つ固有の社会的価値を認め、芸術家が犠牲を払う意欲を説明することで、純粋な市場主導の結果よりも集合的な利益と文化的公平性を優先する政策のためのより強力な根拠を提供します。これは、新自由主義的な圧力に直接対抗するものです。

持続可能な芸術支援モデルの提言

公共資金、民間慈善活動、市場ベースのモデルの再均衡

持続可能な芸術資金調達のためには、公共資金、民間慈善活動、市場ベースのモデルの再均衡が不可欠です。公共資金は、しばしば芸術評議会を通じて提供され、芸術を市民のアイデンティティ、教育、社会の結束に貢献する「公共財」として扱います。これにより、芸術へのアクセスが民主化され、商業的に実現しにくい芸術形式が支援されますが、政治的圧力や官僚的なプロセスに左右されるという側面があります。

民間慈善活動は、柔軟性と即応性を提供し、革新的なプロジェクトを支援しますが、不確実性が高く、特定の分野に集中しがちであり、寄付者の影響力に関する倫理的懸念も生じます。市場ベースのモデルは、需要と供給(販売、チケット収入)に依存し、芸術家を直接支援しますが、商業的成功が優先される傾向があります。

芸術資金調達においては、いずれか一つのモデルに過度に依存することなく、バランスの取れたアプローチが極めて重要です。特に、公共資金は、広範なアクセスと商業的に実現しにくい多様な芸術形式への支援を確保するため、「公共財」への基盤的投資として認識される必要があります。これには、芸術がもたらす具体的な社会的利益を継続的に提唱することが求められます。

新自由主義的文化政策への対抗策

新自由主義的イデオロギーの台頭は、公共資金の削減、企業スポンサーシップへの依存度の増加、そして芸術団体が経済的貢献を証明することへの圧力につながっています。これにより、競争が激化し、芸術家の不安定性が増大し、文化が商品化される傾向が見られます。

これに対抗するためには、芸術表現の商品化に抵抗し、多様で強靭かつ社会的に意義のある芸術セクターを支援する政策を提唱することが含まれます。これは、文化景観を形成する経済的・政治的力学と批判的に向き合うことを意味します。新自由主義への転換は、芸術を公共財やコモン・グッドから商品へと変質させる、芸術の自律性と多様性に対する体系的な脅威です。これに対抗するためには、単に資金を増やすだけでなく、芸術の本質的な価値と市場指標を超えた社会的役割を再主張する、根本的なイデオロギー的抵抗が必要となります。これは、非商業的な芸術活動を積極的に保護し、文化的な公平性を促進する強力な文化政策の枠組みが求められることを意味します。

芸術家の権利と生活保障の強化

国際機関と政府による政策的介入

国際機関、例えばユネスコや国際俳優連盟(FIA)は、芸術的自由を保護・促進し、パフォーマーの適切な生計を確保するための政策を提唱することにコミットしています。ユネスコ・アッシュバーグ・プログラムは、研究、提唱、監視、能力構築を支援し、政府や市民社会組織に技術的・財政的支援を提供しています。また、緊急時における創造性の保護、文化空間の安全確保、現代芸術作品の損傷や破壊からの保護にも力を入れています。

国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は、マイノリティ芸術家のための国際芸術コンテストのようなイニシアティブを実施し、マイノリティ芸術家を人権擁護者として支援し、包摂性と多様性を促進するネットワークを構築しています。芸術的自由イニシアティブ(AFI)は、迫害された芸術家に対し、無償の移民法支援と再定住支援を提供しています。

各国政府も支援を提供しています。米国では、全米芸術基金(NEA)が組織や個人に助成金を提供しており、シャッタード・ベニュー・オペレーターズ・グラント(SVOG)のようなプログラムは、COVID-19パンデミック時の舞台芸術会場に救済措置を提供しました。芸術・文化経済活動は、GDPに大きく貢献していることが認識されています。フランスのように、2016年に「芸術創作は自由である」と明示し、芸術表現を「公共財」と規定する法律を制定した国もあります。

芸術家への効果的な支援は、国際的な提唱、国内政策、そして草の根の芸術家主導のイニシアティブを組み合わせた多層的なアプローチを必要とします。ユネスコや国連人権高等弁務官事務所のような国際的な枠組みは、規範を確立し、緊急支援を提供する一方で、各国政府は資金提供プログラムを実施します。しかし、これらの介入の成功は、「社会的パートナー」(労働組合、雇用者)の積極的な関与と、「芸術のためなら何でもする」という精神の転換にかかっています。

公正な報酬、労働条件、社会保障の確立

芸術家の構造的搾取に対処するためには、非常に低い報酬での労働を禁止する専門的倫理を確立するといった実践的な行動が必要です。芸術家は、そのような仕事を拒否する姿勢を強め、顧客や仲介業者に対し、報酬を過小評価すればサービスが得られなくなることを明確に伝えるべきです。

これには、芸術家間の新たな連帯の形態と、不公正な慣行を助長する芸術家を非難する可能性も伴います。ニューヨークのW.A.G.E.(Working Artists and the Greater Economy)のような認証制度は、非営利の視覚芸術団体が芸術家に適切な報酬を支払うことを認証することで、適切なビジネス基準を確立する上で効果的です。芸術教育もまた、根本的な転換が必要です。「芸術のための芸術」という精神から脱却し、適度な起業家精神や利益追求を含む複数の目標を受け入れる方向へシフトすべきです。

直接的な資金提供を超えて、芸術家の不安定性を克服するためには、芸術界そのものにおける文化的・倫理的な変革が不可欠です。「芸術のためなら何でもする」という精神は、積極的に挑戦され、公正な報酬と労働条件を要求する専門的倫理に置き換えられなければなりません。これには、芸術家による集団的行動、業界の認証制度、そして起業家精神を育むための芸術教育の見直しが含まれ、搾取の症状だけでなく、その根本原因に直接対処することになります。

多様性と包摂性の促進

文化的多様性の保護とマイノリティ芸術家の支援

文化的多様性は、芸術的自由と多様な文化表現へのアクセスを含む人権と基本的自由が保障される場合にのみ保護され、促進されます。芸術家が自由に表現する権利は世界中で脅かされており、特に彼らの表現が政治的イデオロギー、宗教的信念、または文化的嗜好に異議を唱えたり、批判したりする場合に顕著です。

国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のマイノリティ芸術家のための国際芸術コンテストのようなイニシアティブは、人権のための積極的な地球規模の行動を推進するために芸術の力を解き放つことを目指し、マイノリティ芸術家を人権擁護者として支援しています。これらの努力は、文化的な対話、批判的思考、マイノリティの包摂を促進するための安全な空間を創出します。例えば、現代アジア芸術は、しばしば人権、社会的・環境的幸福といった問題に取り組んでおり、地域の歴史を記録し、持続可能な社会の発展に貢献しています。

芸術的自由の保護とマイノリティ芸術家への支援は、単に個人の権利に関するものではなく、文化的多様性、社会の結束、そして民主主義の回復力を育む上で不可欠です。芸術が抑圧されるのは、それが支配的な物語に異議を唱えたり、周縁化された人々に声を与えたりするからであることが多いのです。したがって、多様な文化表現を積極的に促進し、脆弱な芸術家を保護する政策とイニシアティブは、社会変革と批判的思考の触媒としての芸術の本質的な役割を果たすことで、より包摂的で強靭な社会に直接的に貢献します。

芸術教育とアクセス機会の拡大

芸術教育イニシアティブは、創造性と文化的なリテラシーを育む上で極めて重要です。しかし、新自由主義的な政策は、芸術教育の予算削減や優先順位の低下につながる可能性があり、特に恵まれないコミュニティにおける芸術へのアクセスを制限します。マイノリティ芸術家が自身の活動を発展させるためには、より高度な学習のための奨学金を含む、資源へのアクセスを拡大することが不可欠です。また、国際的なパフォーマーに対する障壁を軽減する政策は、地元の聴衆が多様な文化表現にアクセスする機会を向上させることを目指しています。

芸術教育と文化資本への公平なアクセスへの投資は、より包摂的で強靭な芸術エコシステムを育むための長期的な戦略です。芸術的訓練と文化的な知識へのアクセスを民主化することで、社会は既存の文化資本構造によって永続化されてきた排除の連鎖を断ち切り、多様な声と表現の継続的な供給を確保することができます。これは最終的に、世界中のすべての人々にとって文化的な景観を豊かにすることにつながります。

結論:芸術が描く未来への行動

このレポートの多角的な分析を通じて、芸術は単なる人類の生活の装飾的な側面ではなく、根源的で適応的な、そして社会を統合する力であることが明らかになりました。芸術が人類史を通じて普遍的に存在することは、それが人間の認知進化、社会構造、共感能力、そして複雑な思考と深く絡み合っている、中核的な人間的必要性としての本質的な多角的価値の証です。芸術の価値は、経済的指標を超えたところにあり、人間の経験を豊かにし、社会の結束を促進し、批判的思考を刺激する不可欠な要素です。

芸術家と芸術を楽しむ人々にとって真に豊かな未来を実現するためには、芸術に対する見方を商品や脆弱な贅沢品としてではなく、不可欠な社会資産であり人権であると認識するパラダイムシフトが必要です。この転換は、資金調達モデルの再均衡、芸術家の権利の強化、そしてあらゆる形態の抑圧に対する芸術的自由の強力な擁護という、持続的かつ統合された努力を必要とします。これにより、「比喩が革命を起こす」という芸術の本質的な力が、今後も人々にインスピレーションを与え、挑戦を促し続けることが保証されるでしょう。芸術表現が不安定さや抑圧から解放され、世界中の人間の経験を豊かにする未来は、政府、国際機関、市民社会、そして芸術家自身による協調的な行動によって築かれるべきです。

あなたの周りにも、ドガの描いたバレリーナのように、その才能を十分に発揮できずにいる芸術家はいないでしょうか? 私たちは、芸術が持つ本来の価値を理解し、表現者が公正に評価され、安心して創作できる社会を共に創り上げていくことができます。