「歩く」がアートに変わる瞬間!日常動作と表現の境目とは?

こんにちは、マイムアーティスト・講師の織辺真智子です。今日のテーマは、「日常動作と表現の違い」です。私たちは毎日、様々な動作をしていますが、それが「表現」となる時、一体何が変わるのでしょうか?

私たちは、意識せずとも毎日、歩く、座る、立つ、ものを取る、といった様々な日常動作を繰り返しています。これらの動作は、目的を達成するための手段であり、普段は特に意識することはありません。しかし、パントマイムのような身体表現の芸術では、これらの日常動作が「表現」へと昇華されます。では、この二つの間にはどのような違いがあるのでしょうか?
まず、日常動作の主な目的は「実用性」です。例えば、目的地へ移動するために「歩く」、疲れたから「座る」、物を取るために「手を伸ばす」。これらは、効率的かつ無意識に行われることが多いでしょう。私たちの脳は、これらの動作を最小限のエネルギーでこなせるように最適化しています。
一方、「表現」としての動作は、実用性だけを目的とせず、むしろ「伝達」や「感情の表出」を目的とします。それは、内面的な状態や、特定のメッセージを他者に伝えるためのものです。例えば、演劇やダンス、そしてパントマイムにおいて、「歩く」という行為は単なる移動手段ではありません。喜びを表現するために軽やかにスキップするように歩いたり、悲しみを表現するために重々しく足を引きずるように歩いたり、あるいは登場人物の性格や感情、置かれている状況などを伝えるための重要な要素となります。
この「日常動作」と「表現」の違いを深く研究した人物の一人に、ロシアの演劇理論家コンスタンチン・スタニスラフスキー(Konstantin Stanislavski)がいます。彼は20世紀初頭に、俳優が舞台上で真実味のある演技をするためのメソッドを開発しました。スタニスラフスキーは、俳優が日常的な動作をそのまま舞台で再現するのではなく、その動作に「意図」や「感情」を込めることの重要性を説きました。例えば、コップの水を飲むという日常動作を、舞台上で「喉の渇き」を表現するために、その動作に焦点を当て、ゆっくりとコップに手を伸ばし、水を口に含むまでのプロセスを丁寧に演じることで、観客に喉の渇きという感情をより強く伝えることができるのです。
パントマイムにおいては、この日常動作の「分解」と「再構築」が非常に重要になります。例えば、「階段を上る」という日常動作を考えてみましょう。普段、私たちは特に意識せず、足を交互に出して階段を上ります。しかし、パントマイムでは、この「上る」という行為を、一歩一歩の足の上げ方、膝の曲げ方、重心の移動、手の使い方、視線の置き方、呼吸の仕方など、細部にわたって分析し、意識的に行います。そして、そこに「重い足取りで上る」「喜びを感じながら軽やかに上る」「滑り落ちそうになりながら上る」といった感情や状況を加え、誇張したり、リズムを変えたりすることで、単なる日常動作が観客に何かを伝える「表現」へと変わるのです。
また、日常動作が「無意識」であるのに対し、表現としての動作は「意識的」であり、ある程度の「誇張」や「様式化」が伴います。例えば、実際の壁にぶつかる時、私たちは身体が自然と反発しますが、パントマイムで「見えない壁」にぶつかる時には、その反発をより明確に、そして観客に伝わるように表現します。これは、現実の動作をそのまま模倣するのではなく、その動作の「本質」や「意味」を抽出して、視覚的に分かりやすく再構築していると言えます。まるで、日常の言葉を、詩や物語にすることで、より深い意味や感情を伝えることができるようになるのと似ていますね。