
こんにちは、マイムアーティスト・講師の織辺真智子です。
今日のテーマは「なぜパントマイムは『見せる』ことに集中するのか」です。言葉を使わないパントマイムが、なぜ「見せる」という行為にこれほどまでにこだわるのか、その理由と、それが生み出す効果について掘り下げていきます。
「見せる」ことの重要性:言葉の不在
パントマイムは、その名の通り「パン(全て)」と「ミモス(模倣)」から来ており、古くから物事や感情を模倣し、表現する芸術でした。現代のパントマイムが「見せる」ことに強く集中する最大の理由は、言葉の不在にあります。言葉がないため、アーティストは自身の身体と動きだけで、観客に情報、感情、そして物語を伝えなければなりません。
例えば、舞台上でパントマイムアーティストが壁を表現する時、もしその動きが不明瞭であれば、観客は何が表現されているのか理解できません。しかし、まるで本当に壁に触れているかのように、指先から手のひら、腕、そして体全体を使って壁の存在を丁寧に「見せる」ことで、観客の脳裏にその壁のイメージが鮮明に浮かび上がります。これは、単に「そこにある」という事実を伝えるだけでなく、その壁の質感や高さ、そしてそれがアーティストにとって何を意味するのかまでを、観客に想像させる力を持っています。
この「見せる」行為は、演劇におけるリアリズムとも深く関連しています。ロシアの演出家スタニスラフスキーは、役者が舞台上で「真実」を生きることを重視しました。パントマイムにおいては、この「真実」が言葉ではなく、身体の動きによって徹底的に追求されます。観客が「まるで本当にそうであるかのように」錯覚するほど、身体の動きが精緻であればあるほど、その表現は力強く、説得力を持つんです。
観客の想像力を刺激する「見せる」技術
パントマイムが「見せる」ことに集中するのは、単に情報を伝えるためだけではありません。それは、観客の想像力を最大限に刺激するための戦略でもあります。
私たちは、日常生活の中で五感を通して世界を認識しています。パントマイムは、この五感への訴えかけを、あえて「見る」という一つの感覚に絞り込むことで、観客の他の感覚を呼び覚まします。例えば、熱いものに触れた時の身体の反応を正確に「見せる」ことで、観客は実際に熱さを感じたかのような錯覚を覚えます。冷たい風が吹く情景を「見せる」ことで、観客は肌でその冷たさを感じたかのように思えるでしょう。
フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティは、人間の身体と世界との関係性を深く考察し、身体が世界を「知覚」し、そこから意味を生成すると考えました。パントマイムは、アーティストの身体を通して、観客の身体的な感覚、つまり**身体知(ボディナレッジ)**に直接働きかけます。観客は、見えている身体の動きから、自分自身の過去の体験や記憶と照らし合わせ、その意味を解釈し、感情を生成するのです。
この「見せる」技術は、まるで画家がキャンバスに絵を描くのに似ています。画家は、色や形、構図を使って、観る人に特定の感情や風景を想起させます。パントマイムアーティストもまた、身体の動きや空間の使い方、時間の操作によって、観客の心の中に鮮やかなイメージを「描いて見せる」んです。
「見せる」ことで生まれる「共有」の体験
パントマイムが「見せる」ことに集中することによって生まれる最も重要な効果の一つは、アーティストと観客の間で**「共有」の体験**が生まれることです。
言葉による説明がないパントマイムでは、観客は受動的に情報を受け取るだけでなく、能動的にアーティストの表現を解釈し、その世界を共に構築します。アーティストが表現する架空の物体や状況は、観客一人ひとりの想像力によって、それぞれの心の中に具体化されます。同じ舞台を見ていても、観客の数だけ異なる「壁」が存在し、「風」が吹き、「感情」が生まれるのです。
この「共有」の体験は、心理学における「共感」とも深く関連しています。人が他者の感情や意図を理解する際、自身の脳内で相手の行動をシミュレーションする「ミラーニューロン」の働きが注目されています。パントマイムアーティストの精緻な動きは、観客のミラーニューロンを活性化させ、まるで自分がその動きをしているかのように感じさせ、感情を追体験させる可能性があります。
つまり、パントマイムは「見せる」ことによって、観客の心に直接語りかけ、言葉では到達し得ない深さで感情や想像力を共有する空間を創造しているのです。これは、デジタル化が進む現代社会において、人と人との繋がりや、五感を通した豊かな体験の重要性を改めて教えてくれるかもしれません。
まとめ
今日のテーマ「なぜパントマイムは『見せる』ことに集中するのか」について、いかがでしたでしょうか。
パントマイムが「見せる」ことにこだわるのは、言葉の不在を補い、観客の想像力を最大限に刺激するためです。アーティストの身体による精緻な表現は、観客の身体知に働きかけ、言葉では伝えきれない深い感動を生み出します。そして何よりも、「見せる」ことによって、アーティストと観客の間で、かけがえのない「共有」の体験が生まれるのです。