日常に潜むパントマイム的瞬間

こんにちは、マイムアーティスト・講師の織辺真智子です。
今日のテーマは「日常に潜むパントマイム的瞬間」です。特別な舞台芸術だと思われがちなパントマイムですが、実は私たちの日常生活の中に、パントマイムと共通する表現の瞬間がたくさん隠されています。今日はその具体的な例と、それが持つ意味について探っていきます。

言葉ではないコミュニケーション
私たちは意識していませんが、日常の中で、言葉以外の手段で情報を伝えたり、感情を表現したりする機会は無数にあります。これこそが、まさに「パントマイム的瞬間」と言えるでしょう。
例えば、混雑した電車の中で、誰かに道を譲ってほしい時。声を出さずに、ほんの少し体をずらしたり、相手の目を見て軽く会釈したりするだけで、意図が伝わることがありますよね。これは、空間と身体を使った非言語的なコミュニケーションです。あるいは、友人が落ち込んでいる時、何も言わずにただ肩をポンと叩いてあげるだけでも、あなたの心配や励ましの気持ちが伝わることがあります。これは、触覚を通じた感情の伝達です。
心理学者のデズモンド・モリスは、著書『裸のサル』の中で、人間が持つ普遍的な身振りやジェスチャーについて詳細に記述しています。これらの身振りは、言葉に頼らずに、私たちの本能的な感情や社会的なメッセージを伝達する役割を担っています。パントマイムは、これらの日常的なジェスチャーや身体の動きを、意識的に、そして洗練させて芸術として昇華させたものなんです。まるで、日常のささやかな瞬間に焦点を当て、それを拡大して見せる顕微鏡のようなものだと言えるでしょう。

身体が語る物語
私たちは、言葉を話していなくても、身体の動きや姿勢、表情から、その人がどんな状況にあるのか、何を考えているのかを無意識のうちに読み取っています。これもまた、日常に潜むパントマイム的瞬間です。
例えば、朝、駅のホームで、遠くから歩いてくる人の姿が見えたとします。その人がもし、肩を落とし、うつむき加減で、ゆっくりと歩いていたら、私たちは「あの人は何か悲しいことがあったのかな」と推測するかもしれません。逆に、スキップするような足取りで、顔を上げて周りを見渡していたら、「きっと何か良いことがあったんだろう」と感じるでしょう。
これらの身体の動きは、その人の内面的な状態や、置かれている状況を雄弁に物語っています。パントマイムアーティストは、このような日常の観察からインスピレーションを得て、それを舞台上で再構築します。例えば、風に吹かれる表現をする際、実際に風が吹いているわけではありませんが、髪や服の揺れ、身体の傾き、目を細める仕草など、私たちが普段、風を感じた時に無意識に行う身体の反応を正確に再現することで、観客に「風」の存在を感じさせます。これは、観察に基づいた身体の記憶を呼び起こす行為であり、その結果、観客はあたかもその場で風を感じているかのような感覚を覚えるのです。

無意識の「表現」と意識的な「芸術」
日常に潜むパントマイム的瞬間は、多くの場合、無意識のうちに行われています。しかし、パントマイムという芸術は、これらの無意識の表現を、意識的に、そして技術的に磨き上げたものです。
例えば、私たちは日常生活で、自分の荷物が重いと感じた時、無意識に腕や肩の筋肉を緊張させ、ゆっくりと持ち上げようとします。パントマイムアーティストは、この「重い」という感覚を観客に伝えるために、単に重いものを持ち上げる動作を模倣するだけでなく、重心の移動、呼吸の深さ、顔の表情の微妙な変化までをも意識的にコントロールします。彼らは、重力や抵抗といった物理的な力を、目に見える形で表現する訓練を積んでいます。
アメリカの演劇教育者であるサンフォード・マイズナーは、演技を「架空の状況下で真実に行動すること」と定義しました。日常における私たちの無意識の行動は、ある意味で「真実の行動」と言えるかもしれません。パントマイムは、その「真実の行動」の核心を捉え、舞台上で架空の状況を作り出しながらも、観客に「真実」であるかのように感じさせることを目指します。
このように、私たちの身の回りには、言葉なしに多くのことを語る「パントマイム的瞬間」が溢れています。それに気づくことで、日常がより豊かに、そして人とのコミュニケーションがより深く感じられるようになるかもしれませんね。

まとめ
今日のテーマ「日常に潜むパントマイム的瞬間」について、いかがでしたでしょうか。
私たちは、言葉を使わない非言語コミュニケーションを日常的に行っており、身体の動きや表情から多くの情報を読み取っています。これらの無意識の「表現」こそが、日常に潜むパントマイム的瞬間です。パントマイムは、これらの瞬間を意識的に捉え、洗練させることで、身体が語る物語を芸術として昇華させていると言えるでしょう。